高知県で最も古い沈下橋

沈下橋・潜水喬

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久喜橋・くきばし

仁淀川町久喜・国道33号線沿いを松山方面に行き、仁淀川町役場を過ぎ、最初の信号から約400m上流に下の写真の看板があり、生コンセンターの横を川へ降りた所です。
川中の岩を橋脚にした珍しい沈下橋。

昭和10年に作られた、鉄筋コンクリートの沈下橋。共に現存する高知県で最も古い沈下橋と言われている。コンクリートで補強された岩盤にアーチ形をした13mの桁を架け、その東側に二重の桁を連続させている。このあたりは仁淀川でも最も川幅が狭く激流となる場所があり、その奔流に耐えうる構造形式を備えた沈下橋で、今も山里の生活道路として利用されている。国土の歴史的景観としての価値並びに造形の模範となっていることから、2004年3月に、国の登録有形文化財に指定された。(案内板 引用)

高知県で最も古い沈下橋・仁淀川編

一斗俵沈下橋・いっとひょう

四万十町一斗俵・国道56号線より県道19号線へ約15分

ここは、四万十川上流域この橋は流域の沈下橋では最古のもので、水中での工事は困難を極め、昭和十年(1935年)三月に漸く完成したが、喜びも束の間、その年の台風により中央部分の橋脚が流され、災害復旧工事となった。川の中央部分は岩盤が深く潜水夫を潜らせての工事も岩盤に届かず苦心の末、中央に橋脚のない工法を取り入れている。建設当時は、世界大恐慌の煽りを受けて農作物の価格は大暴落していたために、当時の松葉川村が、農家経済の一助になればと、国の補助を受けて取り組んだ事業であった。橋長61メートル、幅員2.5メートルの鉄筋コンクリート造り九連桁橋で、沈下橋の呼び名は、増水時には水面下に潜ることに由来する。この橋が架かるまでは、「城鼻の渡し」と呼ばれる渡し舟が対岸との交通手段として活躍していたので、この橋も当時は「城鼻の沈下橋と呼ばれていた。景観と調和した姿が人々に親しまれており、平成12年(2000年)12月に国の登録有形文化財として認定されている。地域の生活道としての役割を担ってきたが、平成7年(1995年)12月四万十川源流大橋が完成してその役割を終わり今では子供たちの水遊びの場、地域住民の憩いの場として第二の役割を果たしている。(案内板 引用)

高知県で最も古い沈下橋・四万十川編


沈下橋・潜水喬

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